昨年は娘の引きこもりと気分の落ち込みがひどく、私の実家への帰省も旅行もすべて見送っていた。
ちなみに中1の春に行けなかった大阪旅行以降、帰省も旅行もしていない。
けれど、今年は外には出ないものの家の中ではかなり元気を取り戻している。
そんな娘の姿を見ながら、ふと
「娘がこういう状態だからといって、私が実家に帰れないのはおかしいのではないか」
という考えがでてきた。
私の両親も高齢になり、健康面での心配も増えてきている。
会えるうちに、ちゃんと顔を見に帰りたい。
娘に「一緒に行く?」と声をかけてみたが、
「行きたくないわけじゃないけれど……」
と口ごもり、不安から踏み切れない様子だった。
娘は、何も考えているわけではなく色々なパターンをシュミレーションして
どうしたらいいか決められないとう状況になっている。
行くとも行かないともはっきりしない、いつもの曖昧な反応だ。
【決断】中3の夏、「一緒に行くか、1人で行くか」の境界線
今年ははっきりしない娘の態度に引きずられて予定を取りやめるのは、もうやめようと思った。
私には私の両親に会いたいという想いがあるのだし、娘は昨年よりはましなのだし。
中3の夏休み。
同じ年の同級生たちは、毎日のように塾へ通い、受験に向けて慌ただしく過ごしている。
一方の娘は、家に引きこもって刺激の極端に少ない日常を送っている。
対照的だ。
感じた瞬間虚しくなる。
どうしてこうなっちゃったんだろうって無限ループするくらい。
本人の情緒を育てていくためにも、これくらいの環境の変化や刺激はむしろ必要なんじゃないか。
そろそろ自立を促すタイミングだと感じていた。
「行きたいなら連れて行く。行けないなら私1人で行く」
今回はそうやって娘の成長のためにも、自分の想いと切り分けるためにも
きっぱりと境界線を引くことに決めた。
夫は朝晩家にいてくれるので、食事や最低限の生活面で困ることはない。
娘が一緒に行ければ「新幹線に乗って遠出できた」というプラスの成功体験になる。
行けなくても、依存先である私がいない環境で「1人と猫だけで過ごす」という経験ができる。
どちらに転んでも、メリットしかないはずだった。
【出発当日】すがる娘。鳴り止まない着信でカオスすぎ。
理屈ではそう思っていても、当日の朝はすんなりとはいかなかった。
いざ私が出発しようとすると、娘は玄関先まで追いかけてきて
「行かないでぇーー!」
と泣き叫び、すがりついてきた。カオス。
胸が痛む……というよりは、
「え、そこまで?」という驚きの方が大きかった。
普段、平日の昼間は私が自室で仕事をしていて、娘はリビングで好きに過ごしている。
同じ家にいても別々の部屋で過ごしている時間の方がずっと長いのに、
物理的に私がいなくなることに対して、
ここまで強い不安と依存を抱えていたのかと驚いた。
もちろん、今まで自傷行為などは一度もしたことがないけれど、
「突発的にそういう危険なことだけはしないよね?」
という不安は一瞬頭をよぎった。
けれど、そこまでの危険がないのであれば、
なおさら「ここで離れるのが絶対に正解だ」と確信した。
「来たくなったならチケット取るから、後で1人で乗っておいで」
そう言い残し、私は予定通りドアを閉めて外に出た。
歩き出すと、すぐにスマホが震え、娘からの鬼のような連続着信が始まった。
今ここで電話に出てしまえば、間違いなく元の木阿弥になる。
私は着信には一切出ず、
家に残っている夫に連絡を入れて
「あとはよろしく」とサポートを託し、そのまま新幹線へと向かった。
届いたLINEと、拍子抜けの安心感
実家に着いてからの娘の様子は、拍子抜けするほど静かだった。
ただ、夜になって娘からLINEが届いた。
娘は自分のスマホのゲーム容量を空けるために、
私のスマホを使って語学学習アプリの「Duolingo(デュオリンゴ)」をやっている。
それもどうかと思うが、、
その連続記録を途切れさせたくないから、代わりにやっておいてほしい、というお願いだった。
こんな些細なことに気づいて連絡してくるということは、余裕があるということ。
もう大丈夫だなと思った。
【結果】帰宅して驚いた、娘の「案外できていた」日常
2泊3日の帰省を終えて東京の自宅へ戻ると、家の中は至って穏やかだった。
夫から留守中の様子を聞いて、驚いた。
娘は自分でパンを焼き、冷蔵庫にストックしておいたサラダやおかずをレンジで温めてちゃんと食べていたらしい。
入りたいときには自分で風呂を洗い、湯を沸かして入っていた。
猫のごはんの世話も、当たり前のようにこなしていた。
大騒ぎしてすがりついてきたあの朝が嘘のように、
娘は案外、自分ひとりで日常をしっかり回せていたのだ。
【考察】親が動くことで、子どもの自立のスペースが生まれる
親が子どもの顔色を伺って自分の行動を制限しているうちは、
子どもも親に寄りかかり続けてしまう。
私が自分の足で外へ踏み出し、ブレずに「私の人生」を生きること。
それによって親という大きな壁が一時的に引いたとき、
ぽっかり空いたスペースの中で、子どもは
「自分でなんとかする力」を自然と発揮し始めるのかもしれない。
家を出る朝、泣きすがられるのを振り切って、1人で実家に帰って本当によかった。
娘にとっても、私にとっても、
これからの付き合い方を見直す大きな一歩となった2泊3日だった。

