【不登校】娘に「N中等部」を選んだ理由と、親の配慮が響かなかった話

目次

【選んだ経緯】不登校の娘に「N中等部」を選んだ理由

中1の頃、娘は世田谷区のメタバース登校
ほっとルームせたがYah!オンライン」を利用していた。

けれど、ほとんど興味を示さずログインすら億劫がる日々。
私が言わないと忘れてしまっていた。

(※当時の世田谷区メタバース登校の様子はこちら)

あわせて読みたい
学校の登校をやめた後の、世田谷区のメタバース登校の話 【事実】「進路が狭まる」という焦りと、行政のメタバース支援との出会い 学校に見切りをつけた後の話。 いくら見切りをつけたと言っても、義務教育の中学校。どうして...

学校も合わない。
不登校の子への世田谷区の配慮のメタバースも合わない。

「いったい、この子に合う社会的な場所はどこにあるのだろう」
「このまま何もしないでいるわけにはいかない」

焦っていたのは、娘ではなく私だった。

今思えば、当時の娘は学校に行けない自分自身に自信を失い、
心にまったく余裕がない状態だったのだ。

不登校の焦りから選んだ「N中等部」という選択肢

「中2からは新しい居場所が必要だ」と感じた私は、
親主導でN中等部(ネットコース)を勧めることにした。

小5の時、通学キャンパスへ親子で見学に行ったことがあり、
なんとなく親近感を持っていたことも後押しした。

娘本人に相談すると、「いいと思う」と返事をした。

けれど今振り返れば、本気で興味を持ったわけではなく、
親の顔色を伺って適当に同調しただけだったのだと思う。

  • ここなら自分のペースで学べるかもしれない
  • 自分の興味が見つかり、それを共有できる仲間ができるかもしれない
  • プログラミングや探究学習が、新しい居場所のきっかけになるかもしれない

私には、そんな淡い期待があった。

明確で強い目的があったというよりは、
「普通の中学校に通えないなら、せめてここなら……」という、
親の焦りと消去法が入り混じった選択だった。

不登校の子を持つ親なら、
この焦りと期待の入り混じった気持ちに覚えがある人も多いのではないだろうか。

魅力的なはずのオンライン環境が、娘には「高い壁」だった理由

ネット上では
「N中にしたら元気になった」
「生き生きと学び始めた」
などという眩しい話をよく見かける。

けれど、わが家の場合はそんな劇的な変化は一切起きなかった

特に、大きく体調を崩していた昨年(中2)は、
画面をつなぎっぱなしにしたまま布団で横になっていたり、
接続すること自体を忘れたりする日が続いていた。

調子が良い日でも、画面をつけっぱなしにしながら
片手間で別のことをやっているだけ。

とても楽しそうには見えなかった。

プログラミングや多彩な講義、生徒同士の交流イベント。

一般的な学校にはない魅力的な選択肢が揃っており、
親の目には「子どもに寄り添った楽しそうな居場所」に映っていた。

けれど、エネルギーが完全に切れてしまっている娘にとって、
それらの充実した授業すら「こなさなければならない気が重いタスク」でしかなかったのだ。

なぜなら、自分で選んだのではなく、親が強制でやらせているオンラインだから。

現に、
「チャットで元気な人の書き込みを見ると目が回る」
「みんなの存在を感じるだけで、自分と比較して落ち込む」
とこぼしていた。

相手の顔が見えないオンラインは、一見すると参加しやすく敷居が低そうに見える。

けれど、周囲の視線や反応に敏感な娘にとっては、
魅力的な世界どころか、むしろ大人が思う以上に敷居が高い場所だったのだと思う。

習い事、フリースクール、メタバース登校。
新しい環境を試すたびに思う。

そもそも、娘にぴったり合う場所なんて、ほとんどないんじゃないだろうか。
と。

「環境の良し悪し」ではなく、心の段階が追いついていなかった

用意された課題やイベントを前にして動かない娘を見て、
当時は「N中という環境すら合わないのか」と落ち込んだ。

けれど、冷静に振り返ってみれば、
問題はN中のシステムや教育内容にあったわけではない。

娘自身がまだ、外の世界と新しくつながりを持てるだけの
心のエネルギーを蓄えられていなかったのだ。

親がいくら「良さそうな環境」をお膳立てしたところで、
本人が主体的に求めていなければ、どんなに優れた仕組みもただ素通りしていくだけ。

「環境を変えれば、子どもが勝手に動き出すはずだ」
という親側の思い込みを痛感させられた。

先走り、先回り、空回り、ばかりしていたと思う。
私自身の力が入りすぎていたのだ。

親が期待を手放して見えた、自立との境界線

結局、私はN中というレールに娘を無理やり乗せようとするのを完全にやめた。

期待をかければかけるほど、動かない娘に対してイライラし、
余計なプレッシャーを与えてしまう悪循環に気づいたからだ。

アドラー心理学でいう「課題の分離」という考え方がある。

「学ぶかどうか」「どう過ごすか」は子どもの課題であり、親の課題ではない。

親が先回りして居場所を用意し、なんとか活用させようとする行為は、
親自身の「このままではいけない」という不安を埋めるために、
子どもの領域に土足で踏み込んでいただけだったのだと思う。

「この子には、今は用意された枠組みに乗るエネルギーすらない」

そう割り切って親が期待を手放したことで、
私自身がようやく「学校復帰」や「居場所探し」という
見えない呪縛から一歩抜け出すことができた。

本人が自分の足で動き出そうとするその時まで、
親は無駄なお膳立てをやめ、
日々の生活と境界線を守る。

N中が響かなかったという経験は、
親が子どもの自立との距離感を学び直すための、必要なステップだったのだと思う。

目次