昨年1年間は家から出られず、
ピアノはずっとオンラインレッスンに切り替えてもらっていた。
出欠の連絡もすべて私が間に入っていた。
今年4月に対面レッスンを再開したものの、今でも月1〜2回は当日に休んでしまう。
(※当時のオンラインレッスンの様子はこちら)


電車の乗換があり、不安で外に1人出ることができないため今だに私が送迎している。
中学生なんだし、親抜きでやって欲しいのだが、それが難しい。
けれどちょっと成長したことがある。
出発直前の「休む気配」と、不登校の娘への声かけ
前日から「雨が降っていたら行きたくない」と言っていた娘。
案の定、出発時間の直前になっても部屋から出てこず、完全に休みそうな気配だった。
以前の私だったら、「行くの? 行かないの?」としつこく問い詰めていただろう。
「行かない」と言われれば怒り出していたし、
娘が黙り込んでいれば「行かない」と口にするまで無理やり聞き出そうとしていた。
けれど最近は、できるだけそうしないようにしている。
自分の対応を客観的に整理してみて、気づいたからだ。
親が先回りして声をかけ、「どうするの?」と促してしまうこと自体が、
行動の責任のありどころを娘から奪ってしまう原因なのだと。
「行かない」という選択をしたのなら、
連絡をする面倒くささや気まずさ、ちょっとした嫌な思いも含めて、
本人が自分主体で味わって欲しいと思うのだ。
「行くなら準備してね。休むなら自分で先生にLINEしておいてね」
そう伝えて、私は準備も口出しもやめた。
ピアノの先生への申し訳なさと、親の「先回りLINE」
相手は3歳の頃からお世話になっている先生だ。
当日の連絡なしや失礼なことだけは避けたいと思い、
娘が本当に送るか心配になった私は、
こっそり先生に
「今日はお休みさせます。本人から連絡させようとしていたのですが、すみません」
と先にLINEを送ってしまった。
まだ
迷惑をかけたくない、
親の義務、
娘はおそらく送らないだろう、
などの思いに囚われて送ってしまう。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でいうところのチキン野郎という言葉が思い浮かぶ。
私は、お世話になった先生に娘が理由で嫌われたくないのだ。
娘が自分で送っていた「欠席のLINE」
けれど、先生から返ってきたのは
「大丈夫ですよ、娘ちゃんからもちゃんとLINE届きましたよ」
という返事だった。
気まずさもあっただろうに、娘は逃げずに自分のスマホから先生へ欠席の連絡を入れていた。
1年前はLINEの通知を見るのすら怖がり、
画面越しの先生と直接話すこともできなかったのに。
自分の都合の後始末を自分でちゃんと引き受けていたのだ。
普通の子にとっては当然のことも、娘にとっては出来ていなかったことだ。
私はうれしかった。
親が先回りをやめたとき、子どもの自立が始まる
親が先回りして連絡を代行するのをやめれば、
子どもは自分でなんとかするものなのかもしれない。
もっと早く手を離せればよかったのに、気づくのが遅かった……と思わなくもないけれど。
けれど娘の人生はまだまだ続くのだ。
この数年の遅れが何だというのだ。
目をつぶって、親が先回りしてやり続けるよりずっといいと思う。
レッスンを休んだこと自体よりも、自分で先生に連絡できたことのほうが、
この日の娘にとっては大きな前進だったと思う。

